こんにちは、ウニザベスです。
今回の記事は、天才占星術師カール・エルンスト・クラフトに焦点を当てた4回シリーズの第2回目になります。
カール・エルンスト・クラフト(Carl Ernst Krafft)は、占星術師としての才能を認められた一方で、ナチス・ドイツ政権との関係が彼の運命を大きく変えました。
占星術やオカルトに関心を持っていたナチスの指導者たちは、クラフトの「因果的占星術」に注目し、彼を政治戦略やプロパガンダに利用しようとしました。
今回は、クラフトがどのようにしてナチス・ドイツに関わり、その後どのような運命を辿ったのかを詳しく見ていきます。
ナチス・ドイツとオカルト
ナチス・ドイツ政権は、占星術やオカルトに対して特殊な関心を持っていました。
特に、ナチス指導者の中には、占星術や神秘主義に基づいて行動を決定したとされる人物もいました。
アドルフ・ヒトラーをはじめとする一部のナチス高官は、未来予測や神秘的な力が政治的決定に影響を与えると信じており、これがカール・エルンスト・クラフトのような占星術師に注目が集まる一因となりました。
ナチスが権力を握る以前から、クラフトの占星術はヨーロッパ各地で注目されていました。
クラフトの「因果的占星術(Kausale Astrologie)」は、天体の動きが人間や国家の運命にどのような影響を与えるかを科学的に説明しようとするものであり、この独自のアプローチがナチスにとって興味深いものとなったのです。
クラフトとナチス政権の接触
1930年代後半、クラフトはナチス政権に接触を持つようになり、特にヨーゼフ・ゲッベルス(Joseph Goebbels)やハインリヒ・ヒムラー(Heinrich Himmler)などの高官たちが彼の理論に関心を持ちました。
クラフトが注目されたのは、彼がヒトラーの政権に影響を与える出来事を占星術で予言できるかもしれないと考えられたためです。
クラフトの理論は、単なる迷信的な占星術ではなく、科学的な根拠に基づくものだとされていたため、ナチス政権の中でも特にゲッベルスがプロパガンダに利用しようと考えました。
ゲッベルスは占星術を政権の正当性を強化するためのツールとして利用し、クラフトに政権の重要な決定や行動に関する助言を求めたのです。
「ヒトラー暗殺予言」とクラフトの役割
カール・エルンスト・クラフトが最も注目されたのは、1939年に起きた「ヒトラー暗殺未遂事件」と関連してです。
1939年11月8日、ヒトラーはミュンヘンのビアホールで行われた演説の直後に会場を去りました。
その直後に爆弾が爆発し、ヒトラーは難を逃れましたが、数名の死者が出る惨事となりました。この事件はヒトラー暗殺未遂として有名です。
クラフトは、この暗殺未遂事件を事前に予言したとされています。
事件の直前、クラフトは「1939年11月にヒトラーに大きな危険が迫っている」と占星術的に予測していました。
この予言が的中したことで、クラフトはさらにナチス政権内での評価を高めました。
ゲッベルスは、この予言をプロパガンダとして利用し、ヒトラーが「運命に守られた指導者」であるというイメージを強化しようとしました。
しかし、この占星術的予言が的中したことで、クラフトは一層ナチス政権の監視下に置かれることとなります。
彼の才能が政権内で利用される一方で、彼自身もまた危険な立場に立たされていったのです。
占星術師としてのクラフトの苦悩
カール・エルンスト・クラフトは、占星術を科学的に捉える占星術師として認められていましたが、彼がナチス政権に協力することには、個人的な葛藤がありました。
クラフトは、占星術を純粋に研究し、人々の運命を予見するためのツールとして利用したかったとされていますが、ナチス政権は彼の理論を政治的目的のために利用しようとしていました。
クラフトは、ナチスのプロパガンダに利用されることを拒否することも難しく、彼の占星術はますます政権の手段として使われていきました。
また、クラフトはヒトラー暗殺未遂事件の予言を行った後、ナチス高官たちの個人的な占い師としても利用されるようになり、彼の才能は完全に政権のコントロール下に置かれることになりました。
最期の日々
カール・エルンスト・クラフトの占星術的才能がナチス政権に利用される一方で、彼の運命は徐々に暗転していきます。
ナチス政権は占星術やオカルトに対する態度を次第に変え、占星術師たちを危険な存在として扱い始めました。
特に、1941年以降、ナチスは占星術やオカルトに対する取締りを強化し、多くの占星術師やオカルト関係者が逮捕されるようになります。
1941年、クラフトも逮捕され、強制収容所に送られることになりました。
彼の逮捕の理由は、ナチスのプロパガンダに協力していた一方で、彼自身が政権にとって危険な存在と見なされ始めたためです。
占星術を通じて政権の内情に詳しくなったクラフトは、体制にとっても脅威とみなされたのです。
クラフトは強制収容所に収監され、1945年1月に収容所内で病死しました。
彼の人生は、占星術を科学的に解明しようとした野心と、ナチス・ドイツの政権に巻き込まれた悲劇的な運命の狭間で終わりを迎えました。
まとめ
カール・エルンスト・クラフトは、ナチス・ドイツ政権に利用されることで、その占星術の才能が広く知られるようになりましたが、それは彼自身の運命を大きく狂わせる結果となりました。
「ヒトラー暗殺予言」の的中をきっかけに、クラフトは政権の内部で重要な役割を担いながらも、最終的にはその占星術的知識が災いし、命を落とすことになったのです。
次回は、クラフトが提唱した「因果的占星術」について掘り下げます。
彼が占星術を科学的に解明しようとした試みや、その理論の詳細を探っていきます。お楽しみに!
次回予告: カール・エルンスト・クラフトの「因果的占星術」
次回の記事では、カール・エルンスト・クラフトが提唱した「因果的占星術」について詳しく解説します。
彼が占星術をどのように科学的に解明しようとしたのか、従来の占星術との違いは何だったのかを探ります。
クラフトの理論がその後の占星術界や科学界にどのような影響を与えたのかも深く考察していきます。どうぞお楽しみに!